3回生よりメッセージ

早稲田大学”踊り侍”の3回生が引退に向けた思いなどを綴った期間限定ブログです

オ・パッキャマラド

おぱきです!

この名前で呼ばれることももうないって思うとなんだか感慨深いね

 

みんなにどう見えていたかはわからないけれど、私はサムライフを1番楽しみ尽くしていた気がします。

もちろん全く悩みがなかったというわけではないし、たくさん考えた時期もあったけど、それでも私は振り返ってみてやっぱりどの瞬間も、踊り侍であることを苦に思ったことはなかった。

 

踊り侍ってたくさん悩んで考える場所。きっとあなたたちの中にも、何かに迷ってた人はいるんじゃないかな。そんなあなたに何かしらの助けになればと思って、私のサムライフで大切にしていたことを書いてみます。

 

1つ目は「言葉」を大切にすること。

 

言葉は踊り侍の武器です。意気込みや担トークだったり、こんなに言葉を大事にしているサークルはあんまりない。

そんな言葉の重みを知っているチームだからこそ、自分が発する言葉でどうやったらみんなの心を動かせるかは常に考えてきました。

 

どれだけ侍に対して思っていることがあって、考えた理由があっても、やっぱり自分から発信していかないときちんと想いは伝えきれない。

早稲担のときを振り返ると、自分も相手の想いをわかりきれなかったし、想いを伝えきれなかったなって思う。言葉の重みを心から感じたからこそ、自分から発する言葉にはこだわってきた。

 

たくさんやらせてもらったMCも、

早稲祭の演舞やステージについての担トークも、

IXABA強化練の統括トークも、最後の統括の話も。

私の中でその時々に伝えたかった想いを、どうやったら伝え切れるかたくさん考えて紡いだものたち。意外と覚えててくれて、響いたって言ってくれる人がいて嬉しいんだ。

 

侍にいると、人前で話したり、誰かにメッセージを送ったりする機会がたくさんある。相手にどんな言葉を送れば気持ちを伝え切れるのか。少しでも良いから考えてみられれば「言葉」を重んじる侍での過ごし方がちょっと変わるのかなって思ってます。

 

 

2つ目は「やりたいこと」をやること。

 

原動力に「やりたい」があるから、どんな仕事でも続けられるんだよ。

 

たった1個だけ「やりたいこと」ではないことを仕事にしていたことがありました。自分しかいないから、信頼して頼まれたからっていう気持ちで受けたもの。だから、その期間何回も泣かされた。

でもIXABA統括や早稲担は、倍くらいやることあったけど私にとってここまで辛くなかった。それはきっと、どちらも根底に「やりたい」って気持ちがあったから。

 

自分が侍をこう変えてやる!みたいな高尚な気持ちも、自分が支えたい!っていう献身的な気持ちもさらさらなくて

ただ純粋に、自分が「やりたいこと」をやる。

そしてやりたいと思ってやらせてもらった以上、途中でどれだけ辛くてもやり通す覚悟を持つ。

これが私の中で大切にしていたこと。

 

それに気づいてから、その仕事の中で私は何を「やりたい」かなって考え直してみた。ここでぼんやりとだけど出せた答えは、私の支えになりました。やること自体は全く変わってない。でも前よりずっと、前向きな気持ちでいられるようになった。

 

 

この2つが私が大切にしていたこと。

そしてその「言葉」に説得力を持たせるために、「やりたいこと」をやっていても応援される人であれるように、私は良い意味でなめられない人でありたかった。

ありがたいことにたくさんいじってくれてたので笑、親しみやすいって言ってもらえることが多かった。でも親しみやすいって尊敬からはやっぱり遠いんだよね。

だったらその分それすらも超えて、仕事でも踊りでも信頼される人であろうと思ってた。

だから色々と頑張らせてもらいました!

 

共にサムライフを歩んでくれたあなたたちへ。

私はこういう生き方をした侍でした。少しでも何かの助けになれていたら嬉しいな。

 

あなたたちへの気持ちは、IXABA統括の言葉で伝え切りました。

私はたくさん悩んだ答えとして、暖かさという強みを持った22代目踊り侍が大好きで誇りです。だからこそ私たちのこの姿をもっと多くの人に見せつけたかったの。

 

改めて大好きなあなたたちへ。ありがとう。

 

 

最後に同期へ。

たくさん頼らせてくれてありがとう。

 

私の強さを、人前に疲れを出さないことって言ってくれる人が多いのだけど、それはただ私が人に頼るのが苦手なだけで。

それでもこの場所で、心の底から信頼できる仲間がたくさんできて、そんなあなたたちに頼ることを私なりに覚えたよ。

 

ソーランの審パレの後や夜の会議のあと、たくさん愚痴って相談した帰り道、IXABAリハの控室

みんないつもいじってくるくせにその分たくさん偉いよって、ありがとうって言ってくれて

本当にありがとう。たくさん助けられてました。

 

2年半、色々なことに悩んだね。でもその度に、みんなで乗り超えてここまで来れたね。

あぁ本当にあなたたちが同期でよかった!

 

 

22早稲田部署、23救護部

22演舞署、22早稲田祭担当、23IXABA統括

 

オ・パッキャマラド

天ぷらファッション

おーーーーはようございまーす!!天ぷらファッションでーす!!!
2223広報、22こいや担当、23演舞統括、23元気部署、(2122ぶりっこ部署(解散済み))
です!!


「うおおおぉぉぉぉおおおおおおおお!!!」


それが好きで入りました。

TikTok依存性だった高3冬に、別の団体のよさこいが流れてきたのがきっかけで早稲田のよさこいも知りました。

痛烈な一目惚れ!

私はミーハーなので、侍のYouTubeの「人気の動画」の1番上をクリックして。「ああ、これだ!!!」と本気で思って入会を決意しました。


【願う先はあなたの笑顔 踊り侍2023 仁】


あなたは今、笑顔ですか?

私がサムライフで誇れることは、"声"だけ。されど、"声"がある。
全力で声を出して、ガヤを飛ばして、前密では走って。注意をすることが大の苦手な私も優しめの声掛けを覚えました。「偉いよ、みんな走ってて偉いよ!?頑張れ頑張れ!!」

声を出すのが当たり前だった1年冬から、声を出すのが義務になってしまった2年の春。疲れてて、体調もちょっと良くなくて、なんなら機嫌も悪いみたいな日。皆にもあると思います。練習ダルいから適当にやり過ごそうと思ってて、でも担当に本気で声出せって言われてなんとなく本気で声を出しました。
そしたらなんと!

モヤモヤ気分きりばらいして死ぬほど楽しくなったんですよ!今までの分もモヤが晴れて自分の中で革命が起きました。

「声が出せない時は、声を出したらいい」

脳筋かもしれないけど、私の密かで確かな持論です。気分が乗らない時もしんどい日も、私はこれを軸にずっと声を出してきました。
「明るい」「元気」「回生の光」「太陽のような存在」
よくもらってきた言葉と、本当に嬉しかった大切な言葉。

それと同時に、「明るい」「元気」「声で力を貰える」嬉しすぎる言葉を貰う反面、"それしかない"のかな、と感じることも、努力が正義の空間で継続的な努力が苦手なことも、劣等感なんて、たくさんたくさんありました。
あとは、22代目はどうなんだろう、"仁"はどうなんだろう。
なんて悩みもあって、3回生になってからは比較的よく考えるサムライフでした。

引退ブログを考えるにあたって、サムライフを振り返ってみた時。

「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!!」

これは、私の原点で頂点だったんだなあ。
今だって悔しいことはあげたらキリがないけど、私は自分を認めてあげられる。
皆が全力で叫ぶ空間が、笑顔で名前を呼ぶ声が、必死すぎてボロ泣きしてしまう情熱が、本当に本当に心から大好きでした。

ここまで長々と"声"について、偉そうに自分語りをしてきましたが、こうあれ!と言いたい訳ではありません。ただ1つの例として、ちょっとだけ手がかりにしてくれたら嬉しいだけ!


つまり私が言いたいこと。

【笑える理由を思い返してみて】

頑張れ頑張れって死ぬほど言われる空間で、何かと比べられるこの場所で。
中途半端な私は、頑張れ!も、頑張らなくていいんだよ。も、言えません。
頑張って欲しいし、でも自分の心がすり減るくらいなら、頑張らなくていいよって思う。

あなたは笑える理由があるから、そこに好きがあるから、あなたは踊り侍を選んで、踊り侍にいるんだよね?

私は"声"でした。ついでに比率はあれど仲間、空間、踊りもです!(てへぺろっ)
私は人の笑顔が好きです。ちょっと笑いかけてくれるだけで好きになっちゃうようなチョロい人間だし、楽しいことや、面白いこと、笑いが好きです。
踊って、練習して、ふざけて、いじって、いじられて、ガヤや1発芸で爆笑して。
悩みなんてあるだろうけど、笑ってるならなんでも良いんじゃない!?

"そのままのあなたを大切に、あなたの居場所を大切に"

これが"仁"の願いでした。
上記したMCの1文は私の高知の個人MCの抜粋で、動画採用はされていないけど私の大切な想いです。

"仁"の願いのその先に、あなたの笑顔がありますように。

酸いも甘いもひっくるめて、その上で踊り侍が大切で幸せで愛しています。こんな空間どこを探したって無いね。
こんなポジティブな気持ちで引退ブログを書けている自分も、そうさせてくれた侍も大好き!!いえーい😻

最後に!
侍のみんな、先輩、後輩、同期、本当にいっぱいいっぱいありがとう。
私は踊り侍に入って初めて"仲間"を得ました。
仲間を尊敬するのも初めてでした。ずっとずっと大切だよありがとう!強いて言うなら愛してるよ?

家族へ、あなた達の存在を抜きには語れないので!こんなに幸せに引退できるのは紛れもなくあなた達のおかげです!応援してくれる姿も誇りでした。ありがとう愛してるよ?

学科の人や、私を支えてくれた全ての人もありがとう。


最大限の愛と感謝を込めて。
天ぷらファッションでした!!!!!

めげないしょげないがんこちゃん

めげないしょげないがんこちゃんです!私はこの引退ブログを「自分のこと」「メッセージ」の2軸で攻めようと思います!

 

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〇自分のこと

 

"どうせやるなら"

 

私は1回侍に落ちています。落ちた時は別にいいやって思ったけれど、やっぱり入りたくてリベンジして入会を勝ち取りました。

 

そして、コロナが無ければ私は侍にいなかったと思います。元々、英語が好きだったり留学に興味があったり、早稲田を選んだのは、人に溢れるグローバルな環境に身を置きたかったから。1~2年生の間に入寮した国際学生寮は、コロナで制限まみれだったし、留学どころか旅行すら行けない状況が続きました。置かれた環境を無駄にしたくない一心で行動した結果、出会ったのが踊り侍でした。

 

他のパフォサーじゃなくて、踊り侍にこだわったのは、「頑張り続けた先の景色」を「また」見にいけると思ったから。人の心を抉ってくる踊り侍に速攻で惹かれました。今まで勉強も空手も長いこと続けてきた私は、燃え尽きて、本気になるものを探していたわけではなかったけれど、縁あって見つけたこのチームのおかげで、頑張りたいと思えました。

 

そんな踊り侍にいる間、私がずっと大事にしていたこと。それは、"どうせやるなら"という気持ちでした。"どうせ"という言葉は、マイナスなイメージがつくかもしれませんが、ここでは最強にプラスな言葉と捉えてください。

 

大学生活4年間のうち、2年半を踊り侍で過ごすことになります。8分の5です。大学生の可能性って無数にあると私は思っています。それこそ留学に行くこともできる、資格を取るために勉強に打ち込むこともできる、部活に入ることもできる、、、。本当に無数にあるんです。そんな中で8分の5を踊り侍に費やすわけです。

 

「どうせ踊るなら満足感を」

→条件練を無駄にしない気合いだけは人一倍でした。

「どうせ担当やるならとことんやってやろう」

→喉潰れました。(これは勧めません笑)

「どうせなら自分が好きなことだけしていよう」

→やりたいことだけやってました。

 

"どうせやるなら"は全ての原動力になっていました。士気を上げたのは濃い練習がしたかったから、侍ルール守ろうって声かけたのはルールを守れないチームにいるのが痒かったから、、、。

 

完全に「自分のため」のサムライフでした。

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〇メッセージ

 

~2年入会のあなたへ~

 

「自分で自分の道を切り拓く力」は本当に強く持っていてください。

 

余程器用でない限りは、侍から離れる時期がきます。私は制作に出られなかったぐらいで済んだけれど、それでも、一緒に過ごした時間の差は大きくて、想像以上にしんどかったです。侍が大好きで没頭している人こそそれが強くなってしまうと思います。でもこれは周りの人がどうするものではなくて、自分がどうするかだと思います。何を選んでも正解。自分が納得する形で全ての選択をしてほしいな。




~担当を務めたいと思っているあなたへ~

 

「担当になって何を成し遂げたいですか?」

 

目的から全て逆算してみてください。

何をチームに伝えなければいけない?普段の自分の行動で気をつけることは?いつまでに仕事を投げる必要がある?

私が担当を務めた時に常に意識していたことです。息苦しいかもだけれど、担当期はそれぐらい考えて動くことをおすすめします。自分で150人を動かすことのできる、貴重な機会だから!贅沢だなぁ!!!




~誰でもみんなへ~

人には適材適所があります。私の場合、「老害の安心感」と「無駄にでかい声」が強みだったと思います。でもそんな私みたいな人が150人集まったところを想像してください。大騒音ですね。真剣に踊りに向き合える人、場を和ませられる人、懐に入るのが上手い人、、、。色んな人がいるのが当たり前であり、踊り侍の強みはここから生まれると思います。自分のキャラや長所はめちゃくちゃ大事にしてください。その上で、150人で過ごしていることを忘れずに、少しだけ背伸びしてみてください。時にはその人種のるつぼにイライラするかもしれません。それでも人に囲まれている幸せを噛みしめてみて。




~シーサー代のみんなへ~

この私でも(?)5ヵ月も離れたら自分の立場を見失ってたから、同期があなたたちで本当によかった。100回人生やり直しても100回とも制作に出られないっていう選択するけれど、一生後悔するぐらいには仁が好きだしみんなが好き。3回生になってからチームに貢献できたことは少ないけれど、自由に過ごさせてくれて大感謝です。「がんちゃんが同期で本当によかった」この言葉、大切にする。"縁"ってあるもんだね、ありがとう。

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〇最後に

 

"踊り侍は今しかできない"

 

他のことはもしかしたら引退した後でも間に合うかもしれないから!周りの人が羨むような、自分だけのサムライフをみんなが過ごせますように。

 

何年経っても、自慢できる大学生活にしてくれてありがとう。踊り侍のみんなのおかげです。




2021ハマこい担当

2022高知担当

 

めげないしょげないがんこちゃん






〇おまけ

 

カービィ代のみんなへ~

この引退ブログ読んでるかな?あなたたちが引退する直前の圧倒的寂しさ、あの冬と春の心強さ、どのお祭りにもステージにも来てくれた嬉しさ、、、。空気感なのかな、呼吸なのかな、年齢なのかな、言語化できない安心感がずーっとありました。ネタで同期って言ってくれたりガチで同期だと間違ってくれたり、本当に心の支えだったな。ありがとう。

 

パンピーのあなたへ~

時間・締切・ルールだけはしっかり守るんだよ♥

MISSION SURVIVORさとし

あれ〜〜?かっこよくてキャパがある、強くておもろい。そんな3女になっているはずだったんだけどな〜…??笑

現実のあずまなすは先輩のくせに後輩にお世話されちゃう怠け者のちょっとコミュ障の不器用人間。
結局みんながいないと何もできませんでした。
ありがとね。

【大好きな後輩へ】
からしあわせだー!って叫べてる?
みんなにはただただしあわせでいて欲しいです。

▷私がサムライフで感じたありのままの感情

誰かが喜んでいるのを見て素直に「よかったね」と言えない

誰かのひとことが意図せず刺さって泣きそうになる

自分と違う価値観にぶつかって自分を否定されたような気持ちになる

先輩に可愛がられている同期がうらやましい

何も考えずに楽しめている人がうらやましい

より忙しい仲間がいるから自分ごときが人を頼りにしちゃいけないんじゃないかと思う

上手く踊れたはずなのに褒められるのは隣の子ばかり

侍って本当に優しい人ばかりいるからこそ、自分がいかに優しくない人間なのかを突き出される瞬間が私にはたくさんあった。

そんな私がみんなに伝えたいのは
踊り侍にいるときは「ありのまま」じゃなくて「そのまま」でいいんだよってこと。

ありのままの自分が嫌い。
ちっぽけに思える。
だったら一枚殻を被っていてもいい。

弱い自分を見せたくなかったらかっこつけていい
かっこつけられないなら弱い自分を見せていい
苦手なことは隠したままでいい

 

あなたが一番踊り侍を楽しめるのならそれでいい。

 

でも「ありのまま」の自分を消さないで。
あなたの弱さを一番に受けとめられるのは紛れもなくあなた自身です。
どんなに不安や苦しさでひとり悩んでいても
大丈夫、考えすぎじゃないから。
闇の中で勇気の眼差しで次の足場を探しているだけです。

踊り侍は「ありのまま」も「そのまま」も大切にする場所だから、あなたが1番幸せなやり方で生きてください。


たくさん苦しんでたくさん悩んでください。
その分たくさん笑って、たくさんワセメシ食べてね。
人間なんだし、人と比べないなんて無理です。比べていいし落ち込んでいい。
誰かに勇気を持って打ち明けてもいいし誰かに頼るのが怖いなら一人で苦しんでもいいから、自分の感情にだけは嘘つかないでね。

大好きで大切なみんなが
ずっとしあわせでありますように。


【未来のいっしょーぶへ】
大変だよなぁ…笑
お祭りの日に踊りに集中できなくなったらしっかり休んでね。楽しさも苦しさも衣装部にしかわからないと思うから、なにかあったら頼ってください。


【かけがえのない同期へ】
ごめんね。

もっとみんなに甘えてみんなと笑っていたかったなって今更思います。

私は優しくもなくて取り柄もない人間でした。
性格も明るくないし、面白くもなかった
自分に自信がなかった

だからいつも皆から優しい言葉を貰えても、褒めてもらえても素直に受け取ることができなくて
自分のことが好きじゃないから、こんな人間受け入れて貰えないだろって勝手に思い込んで

侍をもっと素直に楽しめたらよかったのに
いっつも気難しいこと考えて悩んで
耳が悪いのも相まってうまくコミュニケーション取れなかったりして
でもあまり頼ることも甘えることもできず、なのにそれを隠せる強さもなかったからそっけなくしてしまったりしていたかもしれない

ごめんなさい。

でもそんなどうしようもない私のことを思慮深いとかあたたかいとか言ってくれたり
自信持ってって励ましてくれたり
どうして皆はそんなに優しいの??笑

深夜3時にLINEで他愛ない話してくれて
泣いてる時に顔面にティッシュ押し付けてくれて
何回聞き返しても笑って答えてくれて

その優しさをうまく返せなかった、うまく支えられなかった卑屈な自分だけが心残りです。

自分のことより他人のことばかり考えてるシーサー
どうしたら侍がもっとしあわせになるか終電まで語っちゃうシーサー
JR回生演舞の直前待機で既に泣いちゃうシーサー

こんな素敵な空間にいられたこと、忘れません。

ありがとう。
こんなしあわせな後悔させてくれてありがとう。
引退するけど、死ぬまで同期だと思ってるから
この心残りを取り戻すのに時効はないよね??笑

ずっとずっとシーサーが大好きです。愛してます。


最後に
学館の住人で学年一の侍ヲタクと呼ばれてた私。
3年生になって随分と変わってしまったけど今の自分のサムライフも間違いじゃなく素敵だと胸を張っていえます。

それは常に人に流されることなく自分なりにやってきたからだと思う

これからいろんな選択をするうちにあなた自身が変わっていって道を見失うことがあるかもしれない、でも変化は怖いことじゃないよ

まっすぐに夢に突き進む人に引け目を感じないで
あなたが見つけた道を進むならひん曲がって折れてても休んでも新たな道に進んでもいいんです
大丈夫、自信もって生きてください

きっと振り返ったとき自分のマチガイも含めて全部愛おしく思えるから。


大隈講堂前で、大好きな#らしさで
私らしさ全開で
最期に紺碧の空を仰ぎみるその時まで

ありがとう、幸せでした。

22.23衣装部・22ふくろ担当・23曲制
MISSION SURVIVORさとし

ファインダー越しの世界

 みなさんお疲れさまでした。「ファインダー越しの世界」こと「吉田十和(よしだとわ)」です。この度ついに引退間近となり、引退ブログを書くことになりました。私は踊り侍に人生を尽くしていたわけでなく、かといってほとんどのお祭に参加するくらいには踊り侍に来ていて・・・。他からすれば実に複雑な人間でしょう。実際、そうだと思います。私がこのような中間的な踊り侍を過ごしていたのは、私自身の経験によるものだと思います。私のサムライフはなかなか苦しく悩みに溢れたものでした。なんなら今も全ては解決されてません(笑)。引退ブログでは、そんな自分の過去とその当時の想い、そしてそれらから生み出された想いを綴らせていただこうと思います。ちなみに6000字もあるので時間には気をつけて(笑)。

 もし今、サムライフで苦しんでいる人がいるなら、少しでも私の文章を読んでください。それが救いになるとは全然思えないけど、少しだけ楽になるかもしれません。つらいことこそあれど、どこかに感動する瞬間があったはず。どこかに「想い溢れる」あなたがいたはず。私の引退ブログでそれを思い出してみませんか。「悪くはなかった」と思えるサムライフは、そうした「想い溢れる」ことから来るのですから。

 

 私は中高と文化部を経験してきましたが、大学生となってダンスや踊りをしてみたいと思い、踊り侍に入会しました。入会したのは2021年5月。あの頃は新しい生活に胸を弾ませていました。入会したての頃は今よりも体力はなく、代々木公園で砂利の上で練習していたため、常にボロボロでしたが新しい経験に喜びと楽しさが溢れていました。

  

 しかし、1回生の8月頃から次第にそのような楽しさが薄れていきました。楽しいよりつらい、苦しいというようなストレスが増えていくにつれ、担当の話や代表の話、担当のテーマ説明すら煩わしくなっていきました。気持ちとしては「さっさと踊らせてくれ」という感じでしょうか。しかしそんな踊りそのものも10月に入ると楽しいとは素直に言えないくらいになっていきました。

 

 11月の早稲田祭は、私にとってより侍をつらいものにしました。当時の3回生の先輩としてダダダ大魔王さんという方がいらっしゃいました。ダダさんは最後の演舞である「零-ZERO-」を踊り終えた後、感動や寂しさからでしょうか、涙を流していました。

 

 しかし、悲しいことにその姿を見た私は、「なぜ泣いているんだろう?」という思い、ただ呆然と立ち尽くすだけでした。ダダさんは本当に良い先輩で、心から感謝していました。だからこそでしょうか、そんな素晴らしい先輩の引退の瞬間に立ち会っても、何の感情も動かなかった自分があまりにも惨めに見えました。何より、素直に「ありがとう」という声すら出せない自分が嫌で嫌で仕方なかったのです。 

 

 早稲田祭の話はもうひとつあります。それはかとけんさんの涙です。当時早稲田祭担当であったかとけんも、早稲田祭で多くの感動の瞬間を見ていったからか最後には涙を流していました。かとけんさんも良い先輩でした。だからこそ、「見るだけで泣ける理由が分からない」という思いを持ってしまった自分が嫌いでした。

 

 踊り侍が楽しくなくなったこと、さらには早稲田祭で自己嫌悪に陥ったことで少しずつ私は侍を離れていきました。大和振り入れこそしましたが、それくらいであり冬の期間はほとんどいないも同然でした。事実、新歓準備には参加する気などなく、参加メールを送ってはいません。

 

 一方ある意味で、新歓はひとつの転機でした。参加メールを送らずにいたのを見て、新歓リーダーだったぴょるが「参加してほしい」という電話をかけてくれました。仕事としての側面もあるとは思いますが、彼女のことですから1回生として非常に大切な新歓に参加してほしかったのだと思います(勝手な推察だけど)。私はこのぴょるからの願いを無碍にするわけにはいかないと思い新歓への参加を決意しました。今振り返れば、私のような侍から離れそうになっているメンバーに声をかけるという姿は、実に愛に溢れたものだなあと感じます。私たちが「仁」を創り上げたのは必然だったのかもしれません。当時はありがとう、ぴょる。

 

 そうしたこともあり、3月くらいから次第に侍へ復帰し始めました。最初の復帰ではあつやが「とわお帰り」と言ってくれたのを覚えています。彼が練習部長を任されているのも、こうした小さなところに気づく力があるからなのでしょう。あつやありがとう。

 

ここで1回生の頃、どうして侍を楽しく思えなかったのか、それについて伝えようと思います。その原因は多岐に渡るでしょうが、最大の原因はわかります。

 それは「周りと調和できない」、換言すれば「孤独を感じた」となるでしょうね。

 

 私と関わったり見ていたりするだけでもある程度感じる人はいると思いますが、私は「変わっている」人です。もちろん「変わっている」といっても、それは相対的尺度によるものなので、人によっては「違うよ」という人もいるかもね。

 

 変わっている部分は第一に、私はみんなと趣味や興味の方向性が非常に合いにくいことでした。自分が好きなのは漫画やアニメ、ゲームなどまあいわゆるオタク的な文化、サブカルチャーでした。他に好きなものといえば歴史とか、クイズ番組とかで、なんとも難しいものばかりでした。音楽とかはまあ話せなくはないけどですが。

 

 一方で、侍のみんなはドラマやディズニー、アイドル、飲み会とかの話。女子なら化粧とか韓流系とか。もちろんこれは一例であって全員が全員これが好き!というわけでないのは知ってるのでご安心を。ともあれ、自分の好きなことを話せる人はあんまりいなかったわけです。そんなの普通だろと言われればその通りですが、「みんなの話についていけない」という事実が自分にとって少しずつストレスになっていきました。

 

 変わっている部分第二は、他の人と日常の過ごし方が全く違ったということです。私の偏見でしかないけど、侍の人の大体が世に言う「大学生」をしていました。休日には友人とボーリング行ったりディズニー行ったり、時にはカフェに行ったりする。休日でなくとも、日常的に飲みに行く。

 

 これが真逆なんですね。自分は休日はよく家にいるタイプだったし、遊びに行ってもディズニーなんてほとんど行かなかった。それにうるさいところが嫌いで、さらに酒なんて何を飲んでもまずかったから飲み会なんて行くわけもなかった。今でも飲みは嫌いです。だってうるさいし、ノリが自分にとっては意味不明だし、しまいには酒がまずい(レモンサワー、ウーロンハイ、カルピスサワーとかですら飲むに一苦労するほどまずすぎる)ときた。

 

 しかしなんたることか!世の中の大学生の大半はこれらが好きなのである!そして悲しいかな、踊り侍も大体そうだったんだよね。しかも話題としてもかなりのぼる。故に話なんて合うわけがない。そもそも興味がないとか、むしろ嫌いなことばかりだったから。

 

 色々と長いけど、これが「孤独」を感じた最大の原因でしょう。当然、そこには自身の努力不足もあるはず。とはいえ、合わなかった部分は確実に存在したので、それが自分を苦しめていたのです。

 

 そんな孤独を抱えつつも、3月以降は基本的に侍に復帰し、いつのまにか2回生となりました。少し侍を休んだからでしょうか、「#らしさ2代納め」や「新歓」ではテーマ説明も演舞も楽しくやることができました。さらに2回生は、祭の復活も大きい。

 

 最初の祭は、札幌のよさこいソーラン祭。この時の西八から見た景色はたまらなく感動した。当時は間違いなく、自分史上最大の感動であったでしょう。心を動かされ涙を流した今も忘れらない瞬間で、この時からたくさんの祭に参加しようと決意しました。

 

 祭に参加するとたくさんの感動に出会いました。1回生の悩みが吹き飛ばされる・・・とまでいかなくても少しは軽減されたのを感じました。何より、悩んだ人であっても感動できる。そのことは自分を大きく変えるきっかけでした。

 

 そうした中で少しずつ、2代納め担当をやりたいと感じるようになりました。1回生の頃を見れば、良いサムライフとは言えないかもしれない。でも、いくつもの幸せを感じてきた事実だってある。きっとそれは「悪くはなかった」サムライフなんだろう。私はこの自分自身が感じた想いを、1年間の終わりである2代納めで伝えたいと思った。2代納めで、自分と同じように悩んでいる人の救いとなりたかった。その想いを持って「滾れ」2代納め担当に立候補し、担当として決定した後はその想いを伝えることに本気で挑んでいきました。

 

 最初の練習場所は平井でした。この練習はあまり上手くいかなかったと思う。テーマ説明や担トークで声をとても大きく出しているつもりだったけど、まるこめやスティパン、練習部からしたらそうでもなかったらしい。普通に小さかったと言われました。「お疲れさまでーす!」といって割って入ることもできず、ただ見ているだけとなりこのことは練習部から指摘されました。

 

 担当で想いを伝えたい!そう考えていたのに、実際は自分の実力不足、いえ、本気不足で誰にも響かない担当となっていました。この時、自分の担当としての姿は甘かったのだと強く感じました。2回目からは、変えなくては。その感情を持って帰宅したのを覚えています。

 

 覚悟を決めた2回目。担トークは当時流行っていたアニメである「ぼっち・ざ・ろっく!」の曲、「忘れてやらない」を例にして、みんなに「忘れてやらないと想える感動の瞬間を振り返ろう、今から創ろう」と伝えました。あの時の声は自分の人生史上最大だったと言っても良いくらいでした。さらに、練習中は「お疲れさまでーす!」と割って入ることも意識し、みんなのやる気を上げていきました。練習終わりは声が枯れるほど全力を尽くして、感想メールでも多くの人から「パワーがすごかった」「想いが込められていてすごい感動した」などという声をもらいました。

 

 3回目の練習での担トークは、自分の中学校の校長が何度も語っていた言葉を伝えました。それは「練習は本番のように、本番は練習のように」という言葉です。実際、日々の練習で手を抜いていたら本番は上手くいかないよね。校長の名前は忘れてしまったけど、この言葉だけはすごい記憶に残り続けてます。ちなみに、練習中藤井くんとデミから「校長の名前は?」と聞かれました。そこで「忘れた」と答えたら、「言葉はそこまで覚えてるのに名前は覚えてないんかーい!」とツッコミ入れられました(笑)。

 

 最後の練習は1日練。前半戦の担トークは自分が侍を離れていたその原因、「孤独」に踏み込んだ担トークをしました。侍をやめたいと思ったことがあるとみんなに伝えたことはありました。しかしながら、その背景自体は当時誰にも伝えてなく、自分の中で閉まっていました。それでも言おうと思ったのは、自分のすべてを明かすことで自分の担当としての本気をみんなに実感してほしかったから。話している途中詰まってしまいましたが、それでもみんなが真剣に聞いてくれているのを見て、全力を尽くす自分の姿に信頼を置いているのが分かりました。

 

 後半戦の担トークは、「想いを溢れる演舞」にしてほしいと語りました。「滾れ」の目的は「踊り子が自然と想いを溢れさせる(=光を放つ)」こと。私の過去はつらいことも多かった。けれども、感動する瞬間をいくつも見てきた。そして、それはみんなも同じだと思った。悩み苦しみ、それでも足掻いて足掻いて、泥臭くボロボロになって雲外蒼天へと至る。だからこそ、つらい感情も、楽しいと思う感情も、感極まるその感情も、すべてを詰め込んだ「想い溢れる演舞」をしてほしかった。そうして全力になれた時、「悪くはなかった」と思えるはずだろうから。

 

 2回目の練習からは常に本気で挑んでいました。担トークで自分の想いを伝える。そしてそれで、みんなを支えたい。その一心を担トークには詰め込んでいました。その結果か、自分の担トークは頗る評判が良く、びっくりした記憶です。

 

 そうして、ついに本番がやってきました。本番は舞台袖からみんなを見ていました。そして、「大丈夫」から「滾れ」に入った時、不思議と涙が溢れてきたのです。正直、担当は見るだけだっから泣くとは思っていませんでした。でも、なぜでしょうか。わけもわからず泣いていた自分がいました。演舞が終わった後、まるこめとスティパンと顔を合わせたのですが、2人は全然泣いてなくて、自分の姿を見ると「泣いてるねー」みたいな感じでからかうように笑われました(笑)。そして、「君としあわせだ!」が始まるとさらに涙が溢れてきて・・・泣きじゃくってましたね。本当にすごい景色で、感動以外の言葉は出てきませんでした。

 

 あの光景は今でも覚えている最高の瞬間。ああ、ダダさんやかとけんさんが泣いていたのは、こうした言葉にできないけど最高の瞬間に出会って想いが溢れたからなんだ。かつて理解できなかった先輩たちの涙。この時、少しだけ理解できました。ただ見ているだけで涙を流す。それくらい、自分は本気で全力でした。

 

 「滾れ」2代納めは人生最高の期間だったと胸を張って言えます。練習も、みんなの「滾れ」も、そして自分自身も何もかもが「Best Shot」でした。

 

 そうして、3回生。3回生は実に悔しい経験ばかり。よさこいソーラン、新潟総踊りがそれぞれ足の怪我(リスフラン関節捻挫)と足のオーバーワークによる疲労な痛みで、踊る回数を制限せざるを得ませんでした。2回生までこんなことはなかったからこそ、より悔しかった。どうして3回生で・・・。そんな気持ちが漂うことも多かった。

 

 それでも、祭に参加するたび「仁」を踊れる幸せと感動を味わいました。特にふくろ祭では、すべて終わった後に1回生のみんなが感極まっていた、泣いていた、「ありがとう」と私に声をかけくれた。その姿を見て、感じて、これが3回生の目指した「愛」なのだろうかと強く、強く想いました。ありがとう、22代目のみんな。

 

 あまりにも長すぎて読むのが怠かったと思います(笑)。本当に申し訳ないところです。心に想い描かれたものをそのまま書いているのでこうなったんだろうね。

 

 さて、それでは最後の言葉を紡ぎましょうか。みんなには4つ伝えましょう。

 

 1つ目が、「想い溢れる」ことを大切にすること。悩んだことも、苦しんだことも、嬉しかったことも、感極まったことも、全部全部大切にしてください。あなたのすべてをもって演舞を踊ってください。そうすれば、きっと忘れられないほどの感動と出会えます。そしてそれが、「悪くはなかった」サムライフを創り出すはずです。

 

 2つ目が、怪我をしないように努めること。今年の私のように、怪我は後悔を残します。どんなに気をつけていても怪我するときはしてしまうものですが、できうる限り注意してください。

 

 3つ目が、「後悔がない」に囚われすぎないこと。誰もが「後悔がないように」と言います。しかし、どんなき頑張っても後悔は必ず生まれます。故に、私は思います。あなたに残ったいくつもの後悔をはるかに超えるぐらいの感動と出会ってください。たとえ、後悔があっても、それを感じさせないくらい、スッキリ忘れ去ってしまうくらい、あなたの大切な想い出を創り上げてください。どんな形でもいいから。あなたのあなたのままの人生を描いてください。みんのいう「後悔がない」とは、こういうことなんだと自分は解釈しています。

 

 最後に4つ目!隊列確認の時の「4(フォォォォォォォォォォォォ!)」を私を超えるぐらい頑張ってください!

 

 私の人生にとって、踊り侍はかけがえのないものでありました。私を支えてくれた、#らしさ代、滾れ代、今の2回生、今の1回生、そして愛に溢れた同期たち「仁代シーサー」たち!

 

   本当の本当に、ありがとう!!!

 

2023年10月25日(水) 脱稿 計6455字

22代目踊り侍 仁代シーサー 

ファインダー越しの世界(吉田十和) より

呪いの王

こんにちは!呪いの王です! 

 

こんなにそれぞれが本気になれて、想いを伝えあったり、終電ぎりぎりまで練習したり、そんな空間が大学生になってもあることってすごいことだなって常々思ってました。

熱さを面にがんがんにだして叫ぶって今までわたしがあんまりやってこなかったことだから毎日が新鮮でめちゃくちゃ楽しかった!

 

私が思う踊り侍の好きなところ厳選して2つ紹介しちゃいます!

 

①いろんな人がいてそれを受け入れる環境があること

年齢も学年も大学もバラバラな人たちが同期だったり、こんなにいろいろな人がいるのっておもしろいよね。そのぶんサムライフも十人十色だっていうこと!どういうサムライフが正解とかはないと思います。

100何人もいるサークルなんだから、いろんな考えを持つ人がいて当たり前。

自分持てる時間すべてを踊り込みとかにつかうのもあり!他のことも一緒にがんばっちゃうのもあり!練習は全力っていう認識を全員がもてていたら大丈夫かなあと思います。

もちろん踊り侍という場所を守ってくれている人への感謝は忘れずに。

私は3回生の中ではけっこう自由にサムライフを送らせてもらっていたなと思います。

みんなより1年間少ないサムライフだったけど留学っていうのは私の中でずっと憧れてきたもので、中学くらいのときから大学までに一回は海外で暮らそうと決めていたのでそこに後悔はまったくないです。

制作とか大きな出来事に関われなかったのは少し寂しいけど戻ってきても受け入れてくれた同期、ほんとうにありがとう。

 

②ありがとう文化

わたしが踊り侍の文化で特に素敵だなと思うのがありがとう文化です!

練習中に隊列とるよ〜とかの声かけをしてくれた人、前にたってみんなを引っ張ってくれた人、見合いっこの感想を伝えてくれた人、些細なことでも感謝を伝えるレスポンスめっちゃいいなあ、あったかいなあと思います。

見えるところじゃなくても頑張ってくれてたり人のために何かをしてくれた人には積極的に感謝の気持ち伝えちゃいましょう。

伝えられた人だけじゃなくて伝えた方もハッピーな気持ちになれるはずです。

日々の些細なことに感謝できるようになったら人生もっと楽しくなるはず!



最後に私に関わってくれたすべての人たちありがとう!ばいばい!

 

呪いの王

丁寧語

こんにちは!丁寧語です!

 

   私はこの2年半、本当に自由に過ごさせていただきました。そんな私から、みんなみたいにかっこ良いことは言えないけど、伝えたかったことをちょこっと書かせてもらいます!

 

   「ねいこ辞めちゃうかと思った」そんな言葉を何回か言われたことがありました。正直私も自分で辞めると思ってたし、今引退したくないと思えている自分がいることも正直驚きです。

 

    でも、そんな私がここまで踊り侍を続けてこれたのは間違いなく仲間の存在が大きいです!

侍に行くのが辛くて、少し離れていた時期もありました。けれど、久しぶりに行っても優しく声をかけてくれて、受け入れてくれる仲間がたくさんいました。 

 

【侍が辛い・辞めたいと思っているあなたへ】

一旦離れてみるという選択も大事です。それは決して悪いことじゃない。踊り侍はサークルだからと気楽に考えて大丈夫です。色々な関わり方があって良いと思います。踊り侍はどんなあなたも絶対に受け入れてくれます。けど、踊り侍のためにたくさん仕事をしてくれている人達への感謝は忘れないでね!

 

   そしてもう1つ、ここまで約2年半のサムライフを通して私が伝えたいことは【あなたが選んだ道を、あなた自身の力で正解にしてほしい】ってこと!

 

    たぶん、サムライフでもこれからの長い人生の中でもたくさん選択しなきゃいけない場面が出てくると思います。だけど、いくら後悔しても選択しなかった道を進むことはもうできません。あなたが選ぶ道はあなたの考え方や行動次第で、正解にも後悔にもできてしまいます。だからこそ、あなたが選択した道を、あなた自身の力で正解にしてほしい。

 

   長い人生の中で大学生でいられるたった4年間は、もう一生戻ることが出来ない貴重な時間です。様々な選択肢がある中で、踊り侍の何かに惹かれてこの貴重な大学生活の2年半を踊り侍で頑張りたいと決めたなら、絶対にその選択は正解だったと思ってほしい!

   

   たくさん悩んで何回も辞めようと思ったけれど、引退しようとしてる今、私が踊り侍に入ってここまで続けてきたという選択は、絶対に間違いではなかったと胸を張って言える幸せなサムライフでした!

 

   今まで私のサムライフに関わってくれた全ての方々、本当にありがとうございました!

先輩、後輩、そして大大大好きなシーサーのみんなに出会えたこと本当に一生の宝物です!

今まで当たり前だった毎日がもうなくなってしまうと思うとやっぱり寂しいな。

2年半のサムライフ本当に色々あったけど全部まとめて一生忘れないと思います。

これからもこんな暖かくて素敵な空間がずっと続きますように。踊り侍が誰かの居場所であり続けますように。

幸せな2年半をありがとうございました!

 

丁寧語

丼上芋子

お疲れ様です!丼上芋子です!

まさかこの私が引退ブログを書くまで侍にいられたことに自分が一番びっくりしています。1回生の時すぐ辞めそうな人材堂々の第一位だったからね。

(画像はみんなから今までで一番愛された、なんならこれからも愛してくれるであろう一枚にしたよん)

 

まず、2年半のサムライフ総括すると本当に幸せでした!

先輩、後輩、そして何より同期のみんなありがとう。

私はみんなに申し訳ないくらい、やりたいことだけやらせてもらえたサムライフでした。本当にいいとこ取りをさせてもらいました。

こんな悠々自適に過ごしていた私を“踊り侍”っていうとっても素敵な輪の中に入れ続けてくれて本当にありがとう。そして素敵な空間を守るために頑張り続けてくれたみんな、本当にありがとう。

 

こんな私なので残念ながらかっこいいことは何も言えません。それどころか逃げ切り体制で書いちゃっているので結構マイナス表現も多いです。ごめんなさい!しかも思ったより長くなっちゃいました!パンピーなのに!なんか恥ずかしい!あわせてごめんなさい!

もしよければ最後の一段落だけでも読んでくれたら嬉しいな!



私は前述した通りすぐ辞めそうだけど辞めなかった人間、なんなら侍に合ってなさそうな人間だけど続けた人間だと思うんです。

 

そもそも侍に入ると決意した時、当時の友達にはほぼ100%の確率で反対されました。私の性格とか諸々踏まえてね。それで実際入った後もやっぱり入る場所間違えたかも、の連続でした。

それは1回生の時だけにとどまらず、私は3回生になっても学館、セブン前、お部屋、練習が怖い人間でした。セブン前に行く時には深呼吸してから向かっていたし、他の場所で合流した後に「まあとりあえずセブン前行く?」の一言が来るとドキドキしちゃってました。暇があれば学館ではなく本キャンの空き教室に積極的に向かう人間でした。

「人に優しく、自分にはもっと優しく」をモットーに生きてきた弱弱人間だし、本音を言おうとすると涙が出てくるし、なぜか小さい頃から二人称の「あなた」が苦手だった。“踊り侍”という空間にいる時は自分を曝け出す、感情をむき出しにするっていう主体性を持って動かなければいけない部分はもちろん、なんだか一挙手一投足が常に誰かからジャッジされてる気がして息が詰まりそうになることも多かった。

多分元来の私の性格と“踊り侍”という組織との相性は悪かったんだと思います。

 

ただ!最後まで侍に対して怖いって感情を持ち続けてしまっていた私だけど、それはそれはちゃんと怖がる以上に侍を心から楽しむこともできていました。(今までマイナスなこと書きすぎて信じてもらえないかもしれないけれど)

 

そして、それに一役買ったのが「よさ名」です。

侍にはありがたいことに「よさ名」があるんだから、そのままの自分でいるのが辛いんだったら「よさ名」というベールを被せてみちゃえばいい。そう考えるようになりました。

ずるいと言われてしまうかもしれないけれど、私にとって“踊り侍”にい続けて、好きでい続けるためには「丼上芋子」というベールを被せることがいちばんの有効策でした。みんなも「自分」でいることが“踊り侍”にいる辛さの原因の1つであるなら「よさ名」を被せてみてね。

だからみんなから芋〜芋子〜芋ねえ〜いもばあ〜ばばあ〜くそばばあー!って呼ばれるの、全部全部心から幸せだったんだ!ありがとう!

 

そしてもう一つ、侍に限らないけれど年長者からのアドバイス!!

依存先は多く持ちましょう。

いきなり精神科医みたいなこと言い出しちゃったけど人って多分何かに依存しないと生きていけない生物だと思います。だからみんなも既に少なからず依存先は持っているはずです。ただ、生きていくと前まで自分に最適だと思っていた空間がふと辛くなってしまう瞬間が来る場合があります。

そんな時に依存先が1つで、そこだけにアイデンティティを見出していたらそこが辛くなった時に一気に自分が崩れてしまいます。だから、空間だけじゃなくてその空間にいる個々人でもなんなら概念でもなんでもいいから心安らぐ場所を何個か作ってね。

踊り侍でも、踊り侍の人でも、踊りでも、大学の友達でもバイトでもなんでも大丈夫だから、心の支えは分散させてね。



色々あったけど2年半続けてよかったと心の底から思ってます。侍に入ることを決めた2年前の自分、なかなかやるじゃん!と褒めたいくらい。

これからみんなもたくさん悩むことも怒ることも時には泣いちゃうこともあるかもしれないけれど、時には自分なりに休憩しつつ続けてみてね。頑張れそうだったら頑張ってみてね。でもおせっかいな一言かもしれないけれど周りの人への感謝は忘れないでね。もしできそうだったらみんなの言葉にはすごくすごく優しさと暖かさと力がこもっているからぜひ小さなことでも周りの人に伝えてあげてね。

これからもずーっと“踊り侍”がみんなを愛し、みんなから愛される空間でありますように!

シーサーで入れて、3回生を優しくて可愛い後輩たちと共に仁代で過ごせて幸せだったな〜

ありがとう、踊り侍!大好きでした!

ゴルゴンゾーラ

こんにちは!ゴルゴンゾーラです!かなうです!

 

みんなに残せるかっこいい言葉なんて言えません!私がサムライフで考えてたことをただ伝えます。

 

今思えば、私は好きなように自己中にサムライフを過ごしてきました。

一つの目標を持ち続けるなんて私にはできなかったし、誰かのために頑張るのは難しかった。だからその時々で自分がやりたいことに正直に行動してきたつもりです。

 

そんな中でも変わらず心がけていたことはあります。それは、

【頑張ってくれる誰かを支えられる人でいる】

ということ。

 

正直、私は侍に入るまでの学生時代、基本人前で頑張ってる人でした。何かを任されて前に立つ経験を沢山してきました。だから、サークルでは、自分のやりたいことに真っ直ぐにいようって決めてました。

でもいざ踊り侍に入ったら、楽しい毎日の中で特になりたい姿も目指したい目標も見つかりませんでした。

みんなが欲しがる肩書きは、私にとっては欲しくないものだった。だから、自ら何かを挑戦することもあまりなかった。

 

気づけば周りの同期は誰かのために頑張ってて、自分はこんなんでいいのかなーって少しだけ悩んだりもしました。

 

その頃から、誰かのために頑張るんじゃなくて、頑張ってくれる誰かの支えになる、前に立つ人にとって居てほしい存在になろうって思うようになりました。

 

同期の悩みや相談を沢山聞いたし、必要な立ち回りを考えたりした。できたことはこれくらいだけど、自分1人じゃたいして頑張れない私も、頑張ってくれるあなたを支えることなら頑張れた。

 

伝えたいこと!

踊り侍には仲間のために自分のために努力できる人が沢山いる。大きな夢を語る人もいる。

でもそうなれないあなたもいるよね。

 

そんなあなたへ。

人を大切にしてください。周りを見てください。

ずっと頑張らなくていいから、

肝心な時に

動ける人でいてください。

 

私は引退を目前にした今でも、これを真っ直ぐに頑張ってきたよ!って堂々と言えるものが思い浮かばない。

それでも、自分の何倍も頑張ってる人が、「信頼してる」「いてくれるだけでいい」なんて言ってくれた。もうそれで十分だなって思ってます。踊り侍にいてよかったなーって。

 

あ、でもこれだけは言っておきたい。

誰かのために頑張り続けてくれたあなたへ、ありがとう。感謝することしかできないから、本当にありがとう。お疲れ様。



【仁の体現者になる】 

 

これは3回生になってやっとできた密かな目標です。

 

"そのままのあなたを大切に、あなたの居場所を大切に。"

 

これは、私自身サムライフですごく大切にしてきたこと。悩んでも悩みすぎず、自分をちゃんと持って、でも周りのこともみて大切にする。こんな人でいたかった。

 

こんな人になれたかな?

圧倒的な武器なんて持ってなかった。明確な何かは残せなかった。だからこそ、せめて人としてはありたい姿でいようと思ってた。



長々と自分の話を失礼しました!以下メッセージ!

 

後輩へ

私はどんなに慕ってくれる子でも、話すのが苦手そうな子でも関係なく、みんなに等しくさばさばと関わってきました笑

劣等感とか、羨ましいとか、私が1回生の時に感じてた思いをさせたくなかったからね。

 

こんな私でも慕ってくれてほんとにありがとう。

結局みんなの存在は大きくて、何気ない言葉に沢山悩まされて、沢山救われたよ。

 

あなたたちらしい頑張り方で、サムライフを楽しみ尽くしてね。

 

仲間と頑張る中で忘れないでほしいこと。強い"思い"を持つ分、それだけの"思いやり"も大切に。



同期へ

優しくて、悩んで、不器用な等身大のみんなが私の居たい場所でした。

 

私は同期に自信がなかったんじゃなくて、自信がない同期を見ててずっと悔しかった。

 

圧倒的とか、最強とかはやっぱり似合わないけど、いい代になれたと思ってる。

 

「シーサー大好き!」とかみんなみたいにあんまり言ってこなかったけど、一人一人本当に大切でした。全員の好きなところも少し嫌なところもちゃんと見つけたよ。

どんな私も「かなうらしいね」で受け入れてくれてありがとう。たくさん救われました。




好きなように過ごしたサムライフに一切の悔いなし!!2年半で引退ってちょうど良いって前まで思ってたけど、あっという間で足りんわ!

 

人生最幸を更新し続けてくれた踊り侍、愛してる。

ありがとう!!

八ツぱっち

お疲れ様です!八ツぱっちです!!

 

あー、この文言を、特に3回生になってから何度みんなに叫んだことか!

もう言えないのかー、少し寂しいです!

 

私からは、自分がサムライフにおいて絶えず大切にしていた言葉を1つ!

 

『"なりたい自分"になるために』

 

今の自分を好きになれないあなたへ

私も踊り侍に最初いた頃の自分を好きになれませんでした。

当初の私は、人前に出るのも、大きな声を出すのも、本心を曝け出すことも大嫌いだった。

心の底から「しあわせだ」って叫んだことがなかった。

踊って涙が出る理由がわからなかった。

 

自分とは正反対の同期や先輩を見て漠然と「すごいなあ」と思いつつも、個々の性格が認められるこの温かい空間だからこそ、私はどこかその温かさに甘えて変われない自分が嫌だった。

 

ありのままの私を大切にしたいけれど、ありのままの私のことを好きになれなかった。

 

だから私は、"なりたい自分"を「そのままの私」にすることができるまで、頑張り続けることにしました。

 

私の"なりたい"自分は

「チームを引っ張ることができる人」でした。

 

誰かの憧れになりたい。

誰かの原動力になりたい。

誰かの背中を押せる存在になりたい。

当初の私とは程遠い理想像だったけれど、無理のある夢だったかもしれないけれど、この夢を少しでも抱いた自分を裏切りたくなくて、頑張り続けました。

 

だから、

踊りも

声も

言葉も

表情も

欲張りに、何一つおざなりにはせずに向き合った。決して楽ではないし、らしくなかったけれど、逃げずに頑張ってきたつもりです。



皆から今の私はどんな風に映っているかな?

私は、自分が完全に"なりたい自分"になれたかはわかりません。

でも"なりたい自分"に向かって頑張り続けた「そのままの私」のことが好きになりました。



だからもう一度

今の自分を好きになれないあなたへ

 

憧れの存在を、自分の理想を、"なりたい自分"を夢物語でも全然良いから掲げてみてほしい。

そして、踊り侍という夢みたいな空間の中で、どうせあと2年もしないうちに終わってしまうんだから、夢を追いかけてみてほしい。

ここはあくまでサークルなんだから、失敗したって全然良いんだよ。

あなたたち一人一人が、踊り侍というチームだけでなく、踊り侍の一員である自分自身にも誇りを持てるように。

 

 

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最後に、

やつぱ、やつはし、ぱっち、ぱちこ、えろぱっち、えろ、かるぱっちょ、かす、あほぱっち、かとう等々 

 

22代目の中では最も呼ばれ方のレパートリーが多かったんじゃないかな?

 

色んな名前を呼んでくれてありがとう!

意味の分からないよさなもあったけれど、

名前を呼ばれるたび、

声をかけてもらえるたび、

私は本当に幸せでした。

 

私のことを、

慕って

いじって

追いかけて

支えて

一緒に笑って

泣いてくれた

後輩と同期のことが大好きです。

他人のことをこんなに好きになれるなんて思わなかった。

本当にありがとう。

 

じゃあね。またどこかで!



22演舞署リーダー

22救護部

22にいがた総踊り祭担当

23振り制リーダー

 

八ツぱっち

 

モナリザのデミグラスソースがけ

突然ですが皆さん、理想の死に方ってありますか?

私は「あ〜疲れた楽しかった〜!!」って言って眠ったノリでそのまま目覚めず死ぬのが理想です!

サムライフという人生において、私はうん、概ねこの理想を達成できたのかなあって思ってます。

2年半と言う期間は、少しだけ無理をするには丁度よくて、終わりが来るのは本当に寂しいけれど、終わりがあるから頑張れるっていうのは、なんだか踊り侍の強さと儚さですね。

 

最後に、きっと私にどこかは似ているあなた達に少しだけ、こんなポエマーいたなあってたまに思い出してもらえるように、言葉を書いておこうと思います。

さあ、今晩も元気にデミグラスソースかかっていきましょう!

 

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本当にこれだけ!

 

【あなたの「好き」をめっっちゃくちゃ大事にしてください!!】

 

モナリザというヘンテコで大好きな名前は、私にとって呪いであり、誇りでした。

踊り侍では珍しく、圧倒的な「製作者」であった私です。壊す時に涙が出るくらい地方に執念を込めたり、代表より多くMCやっちゃったり、Tシャツと名のつくものとりあえず全部応募してみたり。

踊り侍はよく、一人が欠けてもいけない的なことを言うけど、私は正直そうは思いません。

私の専売特許のデザインだって、私が居なくなったら他の誰かが書くし、MCがいい人何人も知ってるし、おもしれえガヤを飛ばせる人も知っています。

多分誰かがいなくても、踊り侍はつつがなく進行していきます。

それでも私は、「誰にでもできること」をあえて「自分が選んで」やりたかった。

 

大学生という、最も多くのことを選択できる時間。

やりたいことも、やらなければいけないことも沢山あって、それでも一日は何故か24時間よりは伸びてくれない。その全てを拾うことは多分出来ません。

 

選びたくなくても、選ばなければいけないから。ならどうかあなたのその基準軸を、あなたの「好き」にして欲しい。

 

将来のために今離れたって、あなたの好きな将来を作るためだから勿論いいし、他にやりたいことがあるならそれに集中したっていい。やっぱり踊り侍を捨てきれないのであれば、ちょこっと無理をしてどちらのことも見ながら頑張ってみたっていい。

 

何を選んでも、何かを捨ててしまった以上、絶対に後悔する時が来ます。でも、好きを理由に選んだのであれば、少なくとも自分の中でだけは納得することは出来ると思う。自分のために選んだ好きは、困った時だって自分のせいです。あなたのせいです。それでいいと思います。

あなたの中に明確な基準軸があるというその事実自体が、きっとあなたのことを強くしてくれます。

 

どうか忘れないでください。

あなたが今踊り侍の練習に来ていることは、あなたが沢山の選択肢の中で、ここを選んできたからです。今ここに居たいだけの理由があなたにはあるはずで、その根底には必ず「好き」があるはずです。

 

それでもやっぱり疲れちゃったよって時は、とりあえず1回空とか見上げてみてください。

ふと見上げた空が、どこまでも澄み渡る青だったら、セピア色の夕焼け雲だったら、雲の隙間にひとつの星を見つけられたら。

心って、実はそれだけくだらないことでちょこっと晴れちゃったりするものです。空だけに♡

 

あと「好き」は言葉にすることをオススメします。自分のためにも、相手のためにも。

言葉にしなかったことは、多分別に後悔にはならないけど

言葉にしたことは自分になっていくと私は思います。

どんな感情も、たった1枚の付箋で全部救われたこと、あると思います。

 

言葉はすごく強い武器だから、どうかその武器を戦うためでなく、温かさで満たす道具として使って欲しいなと思います。

シーサー可愛い先輩しゅきしゅき後輩らぶらぶ踊り侍愛してるよー!



好きと現実と感情の間に挟まれて苦しくなったら、いつでも呼んでください!まだまだ開拓したいワセ飯もあるので、それでも食べながらあなたの好きについて話しましょう。あなたの好きを一緒にアホほど大事にしましょう。

 

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なんて体のいいことをまあ言ってますけども、勿論納得してないこともしんどいことも、今思い出しただけで涙が出るくらい悔しかったことも、沢山ありました!

楽単野郎共、すねが太い親、リーダー格の持ち主、頑張りを頑張りとも思えず頑張れる人、あーもう全部妬ましかったです!!秘密ね!

 

喜怒哀楽、全ての感情で涙を流した場所でした!

溢れ出る幸せをどうしたらいいのか分からなくて泣いた時もありました!

なんで泣いているのか分からないのに、涙が出るあのぐちゃげちゃな気持ちが、好きでたまりませんでした!

 

丁度いいとか言ってみたけど、うそうそ全然寂しいって。引退したらどう生きていけばいいのかな?

幸せを貰いすぎて、こぼれ落ちて行く記憶が本当に悔しすぎて、海馬頑張れぴえんぴえん

あー短くまとめたかったのにまたしても文字数ギリ。てかアウト。削ってますなう。8凸の暇人MLで無理ならまあ無理か。毎朝暇人コンテンツ、本当に楽しみだったなあ。

 

ねえ大好きなみんな!今日のあなたの目に映った空は何色でしたか?

ドン・ジョンソン

「鳴子を持て」

 

これは当たり前

 

よさこいのルールだから

 

鳴子を持たずに踊り込みして

 

踊りだけ上手くなっても

 

鳴子を持った途端下手になるの

 

練習した意味が無い

 

隊列取る時も鳴子を持とう

 

鳴子を持たずに隊列取って

 

踊ったらぶつかって怪我するの

 

隊列取った意味が無い

 

「正しく踊れ」

 

正規振りは

 

これが1番良いって

 

振り制が作った美味しい料理

 

料理を勝手に味変しないでほしい

 

作った人の願いと努力が詰まってるから

 

「侍はアツい?」

 

最近は

 

"しゃー!!"に頼りすぎかもね

 

踊りから

 

練習態度から

 

コミュニケーションから

 

頑張ってみようよ

 

"しゃー!!"が無くても

 

侍の良さやアツさが伝わるといいね

 

「なんでもいいからやってみ」

 

誰かの役に立つかどうかは別として

 

なんでもやりたいことをやってみる

 

たのしいよ

 

〇〇チーム、〇〇部署、〇〇メンバー

 

誰かのために目立つ仕事をするのもアリ

 

誰かのために陰で頑張るのもアリ

 

自分のために何かを頑張るのもアリ

 

やりたくないことは

 

やらなくていいから

 

「人それぞれのサムライフ」

 

義務感・責任感で侍に来てる人もいると思う

 

そういう人がいたっていい

 

侍の誰かと話したくて来てる人もいると思う

 

そういう人がいたっていい

 

自分が良ければそれでいい

 

他人と比べなくていい

 

あなたなりのサムライフを

 

「ありがとう」

 

よさこいを始めた小学1年生の私ありがとう

 

大妻に入学して侍を見つけた私ありがとう

 

新歓でサムトークした先輩ありがとう

 

他大生を受け入れてくれた早稲田ありがとう

 

踊りを教えてくれた先輩ありがとう

 

応援・援助してくれた家族ありがとう

 

一緒に成長してくれた同期ありがとう

 

悩みを聞いてくれた同期ありがとう

 

家族より長く一緒にいたRSBありがとう

 

慕ってくれた後輩ありがとう

 

仲良くしてくれた後輩ありがとう

 

たくさんの人に

 

たくさんのありがとう

 

滾れ代特別KKR

 

仁代特別KKR

 

来てね

 

踊り侍、ありがとう!

 

またね

ポルシェ

こんにちは!ポルシェです🚗

中高の先輩、ランボルギーニの影響を受け侍に入ってはや2年半!

やっぱり長いようであっという間だったなぁっていうありきたりな言葉しか出てきません。

 

今日は、明るいね!ってよく言われる私が侍をちょっとだけラクに、そして楽しく過ごせちゃうかもしれないコツを書いておきますね!

 

【想いを言葉にすること】

 

侍に入ると沢山沢山、想いを言葉にする機会があると思います。付箋練だったり、メセカだったり、サムトークだったり、何かへの応募文だったり、担トークだったり。

でも言いたいのはそういう機会もそうなんだけど、日常のお話する時のこと!

 

正直、私は想いを言葉にすることが苦手です。侍ってほんとに言葉にする力がある人が多い!多すぎる!ほんとにすごい。

私はみんなの前で話すのも苦手だし、そもそもこの言葉を発したらどう思われるんだろう、私っぽくないかな?なんて考えてなかなか素直な気持ちを言葉に出来ずにいました。

 

でもね、侍ではそんなに難しく考えなくても良かったよ

簡単な言葉でいいんです。

ふと発した一言が、ふと口に出した想いが誰かに影響を与えるって全然あるの!

 

実際に私はとある先輩の"見守ってます。"を頼りにここまで歩いてきました

その先輩にとって私は1人の後輩で、同じような言葉を他の人にもたくさんかけてたかもしれない。

でも、何かあったときに私を侍につなぎとめてくれたのは必ずこの言葉でした。

 

侍は想いで成り立っているサークルってよく言われることだし、本当にそうだなってつくづく思います。

せっかく侍に居れる2年半、受動的に想いを抱えてるだけじゃ勿体ない!!

その気持ちを言葉にして誰かに伝えてみてください。

絶対に喜んで受け取ってくれる人が近くにいます。

楽しかったことも、嬉しかったことも、苦しかったことも、悲しかったことも、全部絶対に受け止めてくれる人が侍には必ずいます。

 

だからね、私は2年半たくさんたくさんおしゃべりをしてきました。

そしたら、たくさんの笑顔と明るさと楽しさと嬉しい言葉が返ってきました。

決まった人にしか弱みを見せられなかった私が、こうすることでちょっとは人を頼れるようになりました。

 

こうなれるまで時間はかかったし、すぐに素直になんでも言えたわけじゃないけど、でも言葉のおかげでサムライフが格段に楽しくて、幸せなものになりました!

 

何言えばいいのかわかんないよ〜って人、私のおすすめの言葉は"ありがとう"です!

ちょっと嬉しいな、助かったなって思った時に素直に口に出してみて!!それだけで何かが返ってくるかもしれないよ😚



そしてもうひとつ

【頑張ることは当たり前なんかじゃないよ】

 

侍において頑張ってる人ってたくさんいて、そんな人と自分を比べて自信をなくしてしまったり、やる気がなくなってしまったり、不安になったりすることってあると思う。

 

でもね、そもそも頑張ることって当たり前じゃなくて、悩めてる時点でそれはもう頑張ってるんじゃないかなって私は思うんです。

 

だから辛くなったら、逃げたくなったら休んでください。自分のペースで大丈夫だから無理ばかりして自分を責めないでください。

でも絶対、侍に戻ってきたら普段よりありがとうを言ってみてください。

なぜなら、あなたが離れている間に侍という居場所を守っていた人達も頑張り続けてくれたのだと思うから。

 

最後に

踊り侍を通してポルシェと知り合ってくれた人達、たくさんの刺激と楽しさをありがとう。

 

色んなことを教えてくれて、相談に乗ってくれて、可愛がってくれて、支えてくれた先輩方、本当にありがとうございます。

 

ポルちゃん、ぽっぽ〜って慕ってくれた後輩たち、なんなら立場逆転して私のお世話をしてくれた後輩たちもありがとう。

 

そしてシーサーへ

去年の冬、侍から逃げたくてたまらなかったけれど、あなた達のおかげで今胸を張って侍を大好きだと言うことが出来ます。あの時逃げなくて本当によかった。間違いなく、あなた達が居てくれたからです。

 

沢山の嬉しい言葉をありがとう。沢山向き合ってくれてありがとう。どんな私も受け入れてくれてありがとう。隣にいてくれてありがとう。居場所をくれてありがとう。

あなた達のおかげで毎日が楽しかったよ!ありがとう!!

 

長くなっちゃってごめんなさい、読んでくれた人達はありがとう!



最後の最後!

どうか、この空間がいつまでも続きますように。

みんなのことを応援してます!

私をポルシェで居させてくれてありがとう、幸せでした!!じゃあ、またね!

 

22.23 2回転部署

22.23 会計

22ソーラン担当

 

ポルシェ

僕はオムで君がライス

僕から言いたいことはただ一つ。

 

"踊りに貪欲に生きて最後の最後まで踊り尽くしてください"



よく言われる、踊り侍は人種のるつぼ。

前に立って引っ張ってくれる人、

盛り上げてくれる人、

レスポンスする人、

学館に来る人、

兼サーしてる人etc...

数え切れないほど色んな人がいて、みんな色んな場所で輝いている。

 

特にこれといった役職を持たない自分にとって

 

『踊り』

 

これだけは頑張り続けてました。

 

踊りのセンスもない。最初から上手いわけでもない。天才肌ではない自分にとって、

"踊り"が苦手でした。

 

周りと比べて、動画練の自分を見て、

踊るのが辛い。

踊りから逃げたい。

そんな時もあった。

 

でも、

周りと比べて突出した"何か"がない自分にとって、

【"何か"でてっぺんを取りたい。

その先に見える景色を見てみたい。】

 

この想いに答えるのが『踊り』でした。

 

せっかく何か頑張り続けるなら"踊り"がいい。

"踊り"侍なんだからせめて"踊り"くらいは頑張ろう。

その決意で2年半、嫌がつくほど踊ってました。

 

何か一つを頑張り続けることは

決して簡単な事ではないけれど、

その先に見える景色は

それに見合う価値はあったと僕は思います。

努力し続ければセンスなんて越えられます。

僕が証明しました。

"踊り"という土台があってこそ感情がのる、

それが"踊り侍"だと思います。



【踊りの頂点へ挑む人へ】

鳴子の向きや角度、アイソレ、ポーズ、軌道、ターン、緩急、手と足の形etc

こだわりきったらキリがないくらい

"踊り"には無限大の可能性を秘めてます。

自分なりのこだわりを見つけて、

"踊り"に貪欲に向き合って頂点へ挑んでください。



最後に、

 

〈踊り侍ってまじですごい〉

 

踊り侍に入る前は無機質な生活を送ってたけど、

侍に入ってからは

毎日が楽しくて、

本気になることができて、

色んな感情に触れられた。

どの大学生よりも青春してた自信があります。

 

だから、

 

これからの毎日を無駄に過ごさないでください。

今日行くのちょっと渋いなーって練習も、

あと数回しかない僕たちにとっては、

その数回の練習が"羨ましい"んです。

 

当たり前にある日常は

刻一刻とカウントダウンが始まってて、

気づいたら大好きな日常に終わりを告げる日が来ます。

 

これから過ごす日々を、

当たり前の毎日を、

後悔なく過ごしてください。

 

最後の青春、楽しかったなー!

 

みんな、ありがとう。

 

あおき

足利G.Y.パーク

「やりたいことを、本気で追求すること」

 

これがみんなに贈りたい言葉です。

 

本当にやりたいことなのか、

しっかり考えてほしいと思います。

 

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サムライフの中で、前に立つ機会は多いと思います。でも、果たして前に立った時、自分の想いはどれほどなのか考えたことはありますか?

 

例えば担当。

 

数多くのお祭りごとに選出されるけど、そのお祭りに賭ける想いは真実ですか?

 

今年1年通して、本気の想いに触れることは少なかったように感じます。

 

なぜか?

本気が伝わらないから。

「何話したら良いのか分かんないけど」

「担トーク考えてなかったんですけど」

そんなこと言ってるならそれは本気ではないです。やりたかった他の人からすると失礼です。

 

全員がそうというわけではないです。

本気でぶつかってくる担当。

それに応えるみんな。

そんな時もありました。

そういう期間は紛れもなく何年先も思い出に残っていることでしょう。実際、僕の侍への見方が変わる期間もありました。

 

だからこそ、みんなには今一度自分のやりたいことを考えてみてほしい。

 

本気でやり遂げたいこと、成し遂げたいこと。

それは一体なんですか?

 

他の担当に推薦されたからやる

推薦されてやりたいことなかったらどうするの?やる意味ありますか?

沢山沢山考えてほしい。

 

本気、本音がぶつかるその瞬間、それは自分だけでなくチームの成長にも繋がります。そして、自分が担当やって良かったと胸を張って前に進めるはずです。

 

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例えば僕の本気でやりたかったこと。それは

「3代を良いスタートで切る」

ということでした。

 

22ソーラン担当のとき。

3代初の担当で右も左も分からず、1回目の条件練では当時の3回生から何十通ものお叱り感想メールをもらいました。

 

「何がしたいの?」「その程度なの?」

 

きつい言葉もありました。

でも、3代で良いスタートを切りたいという想いは真実だったから、先輩にも厳しく伝えたりもしました。

言い方がきついと言われることもあったけど、振り返ると、全部全部、今の自分にも、当時のチームにも良い影響を与えられたのではと自負しています。

 

こんなに自信を持てるのは、本気だったからだと思います。

 

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厳しいことを最後に残してしまったけれど、踊り侍を繋いでいくために、他の学生チームに埋もれないために、"本気"という言葉を大切にしてほしいと思います。

 

1回生

これから担当をやっていく人もいると思う。何のために担当をやりたいか、しっかり考えてほしい。

 

2回生

どんな演舞を作りたいのか、沢山ぶつかって、妥協じゃなく2回生の作りたい本気の演舞を見せてほしい。

 

偉そうに言ってしまったけど、

"本気でぶつかることの大切さ"

少しでも伝わってるといいな。

 

22代続いた泥臭さ、熱さをどうか忘れないで。

 

本気と本気、本音と本音。ぶつかることを恐れずに伝え合ってほしい。そうして出来上がるチームこそ、踊り侍、侍であると信じています。

 

来年、23代目がどんな代になっているのか、とても楽しみです。

 

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3回生

沢山わがまま言ってごめんね。どんだけぶつかっても仲間として認めてくれるみんなが本当に大好きで誇りです。今まで色んな景色を一緒に見れたこと、幸せだったよ。ありがとう。




22元気部署

22ソーラン担当

22企画部

23企画協賛部

23振り制

 

足利G.Y.パークより