3回生よりメッセージ

早稲田大学”踊り侍”の3回生が引退に向けた思いなどを綴った期間限定ブログです

極パンツコースター極

引退ブログを体裁よく終わらせようとしたけど、どうもしっくりこなかったので全て書き直しました。プライドを捨てて今まで恥ずかしくて誰にも語れなかった写真からは想像もつかないくらい鬱要素強めの自分の抱いていた劣等感について書きます。

 

「踊りは信用である」

この言葉を踊りの信用が無かった者から送ります。自分はこの言葉に苦しんだ。自分のサムライフにおいて最大の敵は踊りだった。踊り侍に入ったのは踊りたいからじゃなくて、大学1年のときに見たパフォサーのキラキラ感に憧れたから。だから、未だに踊ること自体は嫌いでも好きでもない。踊り侍はバカやってる空間とか仲間が好きだったから、続けてきた。踊りに魅力を感じなかったから1回生のときは1度もお部屋に行かなかった。上手くなりたいと思ったことも、侍の動画を見たこともなかった。周りの人が過去演舞とか踊りの上手いOBOGの話とか、振りに関する談義をしてたけど全く興味がなかった。合わないからずっと辞めようと思ってた。でも払った衣装代が勿体無いから、一回パフォサー入るって言ってすぐに放研に出戻るなんてダサいから、ダラダラ続けてた。

 

そんな自分が踊り始めたのは焦りが理由だった。2回生になり滾れの振りテストがきて、初めて最前列で踊ることになった。新入生たちの前で恥を晒したくない、その一心で初めて踊りに向き合った。結果は合格だった。ここで初めて踊りに魅力を感じたけど遅かった。お部屋に来る1回生がどんどん上手くなっていって、ごく僅かな経験値でアドバンテージがある自分を超えていった。1回生のときに練習してないんだから新入生と同じスタートラインに立っていて努力をしなかったら抜かれるのは当然なのに、プライドだけは無駄に高いから先輩なのに誰よりも下手くそな自分を直視したくなくてお部屋から足が遠のいた。2回生のこのぐらいの時期まで、下手くそなのに踊り侍を名乗ることが踊り侍を楽しんでいることが恥ずかしかったから友達や親には侍のことを話さなかったし、インスタに侍のことを載せることも極力避けた。自分なんかじゃだめだと思い役職にも何も立候補しなかった。でも、以前より侍モチベが上がってきたときにふと、このまま秋以降就活で離れたら何も無いまま侍を引退するなと思った。折角入ったなら一回ぐらい何かやろうという思いが役職をやっちゃだめだという思いを上回り、思い切ってこいや担当に応募した。こいやは特大のターニングポイントになった。皆が太陽の広場でフィナーレで楽しそうに踊っている姿を見て人生で初めて感動による涙を流した。

 

こいやの3日後は時期三役立候補の締切日だった。偶然か運命かこのタイミングはこいやで侍モチベが最高潮になった自分にとって代表に立候補する大きな後押しになった。応募した理由は他にも沢山あって、いくつか抜粋すると1つは1年ぐらいしっかりやろうと思ったから。1回生のときに全然行ってなくてこのまま就活で離れて3回生の6月ぐらいに戻ったら実質侍に居たのって1年しかねえじゃん!折角入ったなら最後の1年ぐらいはガッツリ侍に向き合おう。今まで誰かの頑張りの恩恵を受ける側だったから、今度は与える側になり誰かに還元しよう。やるなら1番ガッツリ向き合う役職に就こうと。2つ目は踊りから逃げられないようにするため。この頃まで「ぱんぴーだし去年練習してなかったから」と言い聞かせて踊りから逃げていた。でも、逃げ続ける自分が嫌だった。でも、代表になればもう絶対に逃げられない。嫌でも踊る状況に自分を追い込めると思った。3つ目は辞める人が少なくなるチーム作りをしたかったから。辞めそうだった自分がギリ侍を続たことで担当をやる機会がきてその先で今までの人生で味わったことのない感情、見たことのない景色に出会えた。サムライフにはこんなきっかけがあるのに経験すらしないで辞めるなんて勿体無い!とりあえずでも続けてみようって思えるサークルを作りたいと思った。でも、踊りが下手という要素で立候補を悩んだ。歴代の代表たちは凄い実力を持っていて自分なんかが代表になっていいのか自問自答を続けた。でもやりたい気持ちが消えず、このまま立候補しなかったら絶対に後悔すると確信して、立候補に至った。

 

代表として過ごした2回生の冬はお部屋に通いまくった。踊りが好き楽しいという感情は一切なく、自分の立派な肩書きに見合わない貧弱な実力の差を少しでも埋めようという焦りで踊りまくった。冬の期間である程度は踊れるようになり、少し自分の踊りに自信が持てるようになった。

 

しかし、また大きな壁にぶち当たった。3回生が本来落ちるはずのない仁の振りテストに落ちた。ちゃんと踊れた、不合格はありえないと思っていたから頭が真っ白になった。意気揚々と振り入れ班の1回生に偉そうに仁を教えていたこと全員の前で偉そうに喋っていたこと全てが恥ずかしくて情けなくなった。多分振りテストの自分の踊りの内容的に他の3回生なら受かっていた。でも、自分には「踊りの信用」がなかった。代表という肩書きに見合ったレベルではなかった。だから、落ちたと思う。このとき痛感した。「1回生のときから踊っていればよかった」。センスなし初心者にとって1年の経験の差はデカすぎた。

 

侍において仲間づくりや役職に就くには2・3回生からでも遅くないと思う。でも、踊りだけは1回生からずっと努力し続けた人には絶対に追いつけない。だから伝えたい。「2回生になったら、3回生になったらじゃなくて1回生のうちから踊ったほうがいい」。侍では踊り以外の面でも輝く人が沢山いる。でも、"踊り"侍である以上踊りが上手な方が、自信満々で踊れた方が絶対に楽しめる。踊りの上手い人の発言の方が説得力がある。多分自分が上手かったらもっといろんな話が自信満々にできた。前に立つとき常に下手な自分が何言ってんだって後ろめたさがあった。だから、踊り以外を武器にしている人でも踊ってほしい。踊りから逃げて踊りに苦しんだ者として踊り侍にいる以上は皆に踊ってほしい。踊りを好きじゃなくてもいいから、1番を目指さなくていいから恥をかかないぐらいには踊ってほしい。踊り侍では(多分社会でも)個人はイメージで判断される。「あの人は下手だ、真面目だ、ポンコツだ、優しい、性格が悪い」全てはイメージ。一度ついたイメージはなかなか変わらない。でも、踊りだけは努力で変えられる。早いうちから踊りのイメージを周りに植え付けてください。

 

自分はよく、言葉の力や人を楽しませる力を褒められた。勿論めちゃくちゃ嬉しかった。でもそれ以上にたまーにイメージに無い踊りを褒められたとき、心底嬉しかった。人はよく褒められる点より、あまり褒められない点について言及されたときに喜ぶものだと思う。だから、回転寿司練、付箋練、日常の会話でその人のイメージにない部分を褒めてみて下さい。きっと言われた側はめちゃくちゃ喜びます。

 

話は戻り、冬の期間で多少踊りが好きになり自信がついた自分は振りテストを機に踊りへの情熱が消え去った。勿論実力不足が原因だけど冬の期間の踊り込みの日々が否定された気がしてショックだった。踊り込みモチベも侍モチベも下がった。そんなときでも早稲田で一番になりたいという夢があったから頑張れた。この1年はひたすらに踊り侍の早稲田での地位を上げることに尽力した。この夢を果たすことは他に何もできない自分が少しでもチームに貢献でき、自分が代表として存在していた意味を見出せると思ったから。これを読んでいる人でまだ夢がない人は絶対に叶えなくてもいいから大小関係なく何か一つ夢を持ってほしい。夢を追いかけているときの充実感、毎日のワクワクは半端じゃない。自分の早稲田一という夢は叶ったかどうか分からない。でも、一日一日に意味があった気がして、徐々に夢への足取りが積み重なってる気がして心が満たされていた。早稲田が大好きだから自分の所属するチームを早稲田で一番にすることを目指した。いつか踊り侍が異論が無いぐらい早稲田で抜きん出た存在になる日が来ることを夢見ています。

 

踊り侍に入ったことで、ただの遊び人大学生のそこそこだったであろうキャンパスライフは早稲田一のために突っ走る、刺激溢れる最高に充実した毎日に変わりました。踊り侍、デッカい夢を追いかけさせてくれてありがとう。この夢の続きは後輩の皆に託します。

 

藤井雄太郎