3回生よりメッセージ

早稲田大学”踊り侍”の3回生が引退に向けた思いなどを綴った期間限定ブログです

ファインダー越しの世界

 みなさんお疲れさまでした。「ファインダー越しの世界」こと「吉田十和(よしだとわ)」です。この度ついに引退間近となり、引退ブログを書くことになりました。私は踊り侍に人生を尽くしていたわけでなく、かといってほとんどのお祭に参加するくらいには踊り侍に来ていて・・・。他からすれば実に複雑な人間でしょう。実際、そうだと思います。私がこのような中間的な踊り侍を過ごしていたのは、私自身の経験によるものだと思います。私のサムライフはなかなか苦しく悩みに溢れたものでした。なんなら今も全ては解決されてません(笑)。引退ブログでは、そんな自分の過去とその当時の想い、そしてそれらから生み出された想いを綴らせていただこうと思います。ちなみに6000字もあるので時間には気をつけて(笑)。

 もし今、サムライフで苦しんでいる人がいるなら、少しでも私の文章を読んでください。それが救いになるとは全然思えないけど、少しだけ楽になるかもしれません。つらいことこそあれど、どこかに感動する瞬間があったはず。どこかに「想い溢れる」あなたがいたはず。私の引退ブログでそれを思い出してみませんか。「悪くはなかった」と思えるサムライフは、そうした「想い溢れる」ことから来るのですから。

 

 私は中高と文化部を経験してきましたが、大学生となってダンスや踊りをしてみたいと思い、踊り侍に入会しました。入会したのは2021年5月。あの頃は新しい生活に胸を弾ませていました。入会したての頃は今よりも体力はなく、代々木公園で砂利の上で練習していたため、常にボロボロでしたが新しい経験に喜びと楽しさが溢れていました。

  

 しかし、1回生の8月頃から次第にそのような楽しさが薄れていきました。楽しいよりつらい、苦しいというようなストレスが増えていくにつれ、担当の話や代表の話、担当のテーマ説明すら煩わしくなっていきました。気持ちとしては「さっさと踊らせてくれ」という感じでしょうか。しかしそんな踊りそのものも10月に入ると楽しいとは素直に言えないくらいになっていきました。

 

 11月の早稲田祭は、私にとってより侍をつらいものにしました。当時の3回生の先輩としてダダダ大魔王さんという方がいらっしゃいました。ダダさんは最後の演舞である「零-ZERO-」を踊り終えた後、感動や寂しさからでしょうか、涙を流していました。

 

 しかし、悲しいことにその姿を見た私は、「なぜ泣いているんだろう?」という思い、ただ呆然と立ち尽くすだけでした。ダダさんは本当に良い先輩で、心から感謝していました。だからこそでしょうか、そんな素晴らしい先輩の引退の瞬間に立ち会っても、何の感情も動かなかった自分があまりにも惨めに見えました。何より、素直に「ありがとう」という声すら出せない自分が嫌で嫌で仕方なかったのです。 

 

 早稲田祭の話はもうひとつあります。それはかとけんさんの涙です。当時早稲田祭担当であったかとけんも、早稲田祭で多くの感動の瞬間を見ていったからか最後には涙を流していました。かとけんさんも良い先輩でした。だからこそ、「見るだけで泣ける理由が分からない」という思いを持ってしまった自分が嫌いでした。

 

 踊り侍が楽しくなくなったこと、さらには早稲田祭で自己嫌悪に陥ったことで少しずつ私は侍を離れていきました。大和振り入れこそしましたが、それくらいであり冬の期間はほとんどいないも同然でした。事実、新歓準備には参加する気などなく、参加メールを送ってはいません。

 

 一方ある意味で、新歓はひとつの転機でした。参加メールを送らずにいたのを見て、新歓リーダーだったぴょるが「参加してほしい」という電話をかけてくれました。仕事としての側面もあるとは思いますが、彼女のことですから1回生として非常に大切な新歓に参加してほしかったのだと思います(勝手な推察だけど)。私はこのぴょるからの願いを無碍にするわけにはいかないと思い新歓への参加を決意しました。今振り返れば、私のような侍から離れそうになっているメンバーに声をかけるという姿は、実に愛に溢れたものだなあと感じます。私たちが「仁」を創り上げたのは必然だったのかもしれません。当時はありがとう、ぴょる。

 

 そうしたこともあり、3月くらいから次第に侍へ復帰し始めました。最初の復帰ではあつやが「とわお帰り」と言ってくれたのを覚えています。彼が練習部長を任されているのも、こうした小さなところに気づく力があるからなのでしょう。あつやありがとう。

 

ここで1回生の頃、どうして侍を楽しく思えなかったのか、それについて伝えようと思います。その原因は多岐に渡るでしょうが、最大の原因はわかります。

 それは「周りと調和できない」、換言すれば「孤独を感じた」となるでしょうね。

 

 私と関わったり見ていたりするだけでもある程度感じる人はいると思いますが、私は「変わっている」人です。もちろん「変わっている」といっても、それは相対的尺度によるものなので、人によっては「違うよ」という人もいるかもね。

 

 変わっている部分は第一に、私はみんなと趣味や興味の方向性が非常に合いにくいことでした。自分が好きなのは漫画やアニメ、ゲームなどまあいわゆるオタク的な文化、サブカルチャーでした。他に好きなものといえば歴史とか、クイズ番組とかで、なんとも難しいものばかりでした。音楽とかはまあ話せなくはないけどですが。

 

 一方で、侍のみんなはドラマやディズニー、アイドル、飲み会とかの話。女子なら化粧とか韓流系とか。もちろんこれは一例であって全員が全員これが好き!というわけでないのは知ってるのでご安心を。ともあれ、自分の好きなことを話せる人はあんまりいなかったわけです。そんなの普通だろと言われればその通りですが、「みんなの話についていけない」という事実が自分にとって少しずつストレスになっていきました。

 

 変わっている部分第二は、他の人と日常の過ごし方が全く違ったということです。私の偏見でしかないけど、侍の人の大体が世に言う「大学生」をしていました。休日には友人とボーリング行ったりディズニー行ったり、時にはカフェに行ったりする。休日でなくとも、日常的に飲みに行く。

 

 これが真逆なんですね。自分は休日はよく家にいるタイプだったし、遊びに行ってもディズニーなんてほとんど行かなかった。それにうるさいところが嫌いで、さらに酒なんて何を飲んでもまずかったから飲み会なんて行くわけもなかった。今でも飲みは嫌いです。だってうるさいし、ノリが自分にとっては意味不明だし、しまいには酒がまずい(レモンサワー、ウーロンハイ、カルピスサワーとかですら飲むに一苦労するほどまずすぎる)ときた。

 

 しかしなんたることか!世の中の大学生の大半はこれらが好きなのである!そして悲しいかな、踊り侍も大体そうだったんだよね。しかも話題としてもかなりのぼる。故に話なんて合うわけがない。そもそも興味がないとか、むしろ嫌いなことばかりだったから。

 

 色々と長いけど、これが「孤独」を感じた最大の原因でしょう。当然、そこには自身の努力不足もあるはず。とはいえ、合わなかった部分は確実に存在したので、それが自分を苦しめていたのです。

 

 そんな孤独を抱えつつも、3月以降は基本的に侍に復帰し、いつのまにか2回生となりました。少し侍を休んだからでしょうか、「#らしさ2代納め」や「新歓」ではテーマ説明も演舞も楽しくやることができました。さらに2回生は、祭の復活も大きい。

 

 最初の祭は、札幌のよさこいソーラン祭。この時の西八から見た景色はたまらなく感動した。当時は間違いなく、自分史上最大の感動であったでしょう。心を動かされ涙を流した今も忘れらない瞬間で、この時からたくさんの祭に参加しようと決意しました。

 

 祭に参加するとたくさんの感動に出会いました。1回生の悩みが吹き飛ばされる・・・とまでいかなくても少しは軽減されたのを感じました。何より、悩んだ人であっても感動できる。そのことは自分を大きく変えるきっかけでした。

 

 そうした中で少しずつ、2代納め担当をやりたいと感じるようになりました。1回生の頃を見れば、良いサムライフとは言えないかもしれない。でも、いくつもの幸せを感じてきた事実だってある。きっとそれは「悪くはなかった」サムライフなんだろう。私はこの自分自身が感じた想いを、1年間の終わりである2代納めで伝えたいと思った。2代納めで、自分と同じように悩んでいる人の救いとなりたかった。その想いを持って「滾れ」2代納め担当に立候補し、担当として決定した後はその想いを伝えることに本気で挑んでいきました。

 

 最初の練習場所は平井でした。この練習はあまり上手くいかなかったと思う。テーマ説明や担トークで声をとても大きく出しているつもりだったけど、まるこめやスティパン、練習部からしたらそうでもなかったらしい。普通に小さかったと言われました。「お疲れさまでーす!」といって割って入ることもできず、ただ見ているだけとなりこのことは練習部から指摘されました。

 

 担当で想いを伝えたい!そう考えていたのに、実際は自分の実力不足、いえ、本気不足で誰にも響かない担当となっていました。この時、自分の担当としての姿は甘かったのだと強く感じました。2回目からは、変えなくては。その感情を持って帰宅したのを覚えています。

 

 覚悟を決めた2回目。担トークは当時流行っていたアニメである「ぼっち・ざ・ろっく!」の曲、「忘れてやらない」を例にして、みんなに「忘れてやらないと想える感動の瞬間を振り返ろう、今から創ろう」と伝えました。あの時の声は自分の人生史上最大だったと言っても良いくらいでした。さらに、練習中は「お疲れさまでーす!」と割って入ることも意識し、みんなのやる気を上げていきました。練習終わりは声が枯れるほど全力を尽くして、感想メールでも多くの人から「パワーがすごかった」「想いが込められていてすごい感動した」などという声をもらいました。

 

 3回目の練習での担トークは、自分の中学校の校長が何度も語っていた言葉を伝えました。それは「練習は本番のように、本番は練習のように」という言葉です。実際、日々の練習で手を抜いていたら本番は上手くいかないよね。校長の名前は忘れてしまったけど、この言葉だけはすごい記憶に残り続けてます。ちなみに、練習中藤井くんとデミから「校長の名前は?」と聞かれました。そこで「忘れた」と答えたら、「言葉はそこまで覚えてるのに名前は覚えてないんかーい!」とツッコミ入れられました(笑)。

 

 最後の練習は1日練。前半戦の担トークは自分が侍を離れていたその原因、「孤独」に踏み込んだ担トークをしました。侍をやめたいと思ったことがあるとみんなに伝えたことはありました。しかしながら、その背景自体は当時誰にも伝えてなく、自分の中で閉まっていました。それでも言おうと思ったのは、自分のすべてを明かすことで自分の担当としての本気をみんなに実感してほしかったから。話している途中詰まってしまいましたが、それでもみんなが真剣に聞いてくれているのを見て、全力を尽くす自分の姿に信頼を置いているのが分かりました。

 

 後半戦の担トークは、「想いを溢れる演舞」にしてほしいと語りました。「滾れ」の目的は「踊り子が自然と想いを溢れさせる(=光を放つ)」こと。私の過去はつらいことも多かった。けれども、感動する瞬間をいくつも見てきた。そして、それはみんなも同じだと思った。悩み苦しみ、それでも足掻いて足掻いて、泥臭くボロボロになって雲外蒼天へと至る。だからこそ、つらい感情も、楽しいと思う感情も、感極まるその感情も、すべてを詰め込んだ「想い溢れる演舞」をしてほしかった。そうして全力になれた時、「悪くはなかった」と思えるはずだろうから。

 

 2回目の練習からは常に本気で挑んでいました。担トークで自分の想いを伝える。そしてそれで、みんなを支えたい。その一心を担トークには詰め込んでいました。その結果か、自分の担トークは頗る評判が良く、びっくりした記憶です。

 

 そうして、ついに本番がやってきました。本番は舞台袖からみんなを見ていました。そして、「大丈夫」から「滾れ」に入った時、不思議と涙が溢れてきたのです。正直、担当は見るだけだっから泣くとは思っていませんでした。でも、なぜでしょうか。わけもわからず泣いていた自分がいました。演舞が終わった後、まるこめとスティパンと顔を合わせたのですが、2人は全然泣いてなくて、自分の姿を見ると「泣いてるねー」みたいな感じでからかうように笑われました(笑)。そして、「君としあわせだ!」が始まるとさらに涙が溢れてきて・・・泣きじゃくってましたね。本当にすごい景色で、感動以外の言葉は出てきませんでした。

 

 あの光景は今でも覚えている最高の瞬間。ああ、ダダさんやかとけんさんが泣いていたのは、こうした言葉にできないけど最高の瞬間に出会って想いが溢れたからなんだ。かつて理解できなかった先輩たちの涙。この時、少しだけ理解できました。ただ見ているだけで涙を流す。それくらい、自分は本気で全力でした。

 

 「滾れ」2代納めは人生最高の期間だったと胸を張って言えます。練習も、みんなの「滾れ」も、そして自分自身も何もかもが「Best Shot」でした。

 

 そうして、3回生。3回生は実に悔しい経験ばかり。よさこいソーラン、新潟総踊りがそれぞれ足の怪我(リスフラン関節捻挫)と足のオーバーワークによる疲労な痛みで、踊る回数を制限せざるを得ませんでした。2回生までこんなことはなかったからこそ、より悔しかった。どうして3回生で・・・。そんな気持ちが漂うことも多かった。

 

 それでも、祭に参加するたび「仁」を踊れる幸せと感動を味わいました。特にふくろ祭では、すべて終わった後に1回生のみんなが感極まっていた、泣いていた、「ありがとう」と私に声をかけくれた。その姿を見て、感じて、これが3回生の目指した「愛」なのだろうかと強く、強く想いました。ありがとう、22代目のみんな。

 

 あまりにも長すぎて読むのが怠かったと思います(笑)。本当に申し訳ないところです。心に想い描かれたものをそのまま書いているのでこうなったんだろうね。

 

 さて、それでは最後の言葉を紡ぎましょうか。みんなには4つ伝えましょう。

 

 1つ目が、「想い溢れる」ことを大切にすること。悩んだことも、苦しんだことも、嬉しかったことも、感極まったことも、全部全部大切にしてください。あなたのすべてをもって演舞を踊ってください。そうすれば、きっと忘れられないほどの感動と出会えます。そしてそれが、「悪くはなかった」サムライフを創り出すはずです。

 

 2つ目が、怪我をしないように努めること。今年の私のように、怪我は後悔を残します。どんなに気をつけていても怪我するときはしてしまうものですが、できうる限り注意してください。

 

 3つ目が、「後悔がない」に囚われすぎないこと。誰もが「後悔がないように」と言います。しかし、どんなき頑張っても後悔は必ず生まれます。故に、私は思います。あなたに残ったいくつもの後悔をはるかに超えるぐらいの感動と出会ってください。たとえ、後悔があっても、それを感じさせないくらい、スッキリ忘れ去ってしまうくらい、あなたの大切な想い出を創り上げてください。どんな形でもいいから。あなたのあなたのままの人生を描いてください。みんのいう「後悔がない」とは、こういうことなんだと自分は解釈しています。

 

 最後に4つ目!隊列確認の時の「4(フォォォォォォォォォォォォ!)」を私を超えるぐらい頑張ってください!

 

 私の人生にとって、踊り侍はかけがえのないものでありました。私を支えてくれた、#らしさ代、滾れ代、今の2回生、今の1回生、そして愛に溢れた同期たち「仁代シーサー」たち!

 

   本当の本当に、ありがとう!!!

 

2023年10月25日(水) 脱稿 計6455字

22代目踊り侍 仁代シーサー 

ファインダー越しの世界(吉田十和) より