3回生よりメッセージ

早稲田大学”踊り侍”の3回生が引退に向けた思いなどを綴った期間限定ブログです

天翔龍閃

「自分は踊り侍に向いていなかった」

 

二年半もの時間をここで過ごした今でも、そう思う。

 

理由を分かりやすくて、分かりにくい言葉で表すならば、

“アツくない” から、かな。

 

アツさとは関係ないかもしれないけれど、自分語りを三つほど。

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声を出すこと、感情を曝け出すことは、

昔から大が付くほど苦手なことだった。

そんな自分でも “ガン極まる” ことがあるのかななんて思ってた。

でも、結局分からなかった。まあ分からなくていいけどね。

なんてスカしてる自分はかっこ悪いのかな。

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“憧れ” という言葉がずっと憎かった。

二年前、憧れを持つことが正しい道だと言われている気がしていた。

周りの人には憧れの先輩がいて、憧れに近づこうと努力をしてて。

嫉妬なのかもしれないけれど、

自分は先輩と積極的に関われないからダメなんだって思ってた。

だから怖くて “憧れ” という言葉が、ずっと使えなかった。

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サムライフのターニングポイントは、

一回生の時にガルル振り入れに行けなかったことかもしれない。

踊ることが好きでこのサークルに入ったから、かなり落ち込んだ。

それなのに、制作代の方には申し訳ないけれど、

「振り入れしてなくていいな、私も振り入れしなきゃよかった」

って言われたことがあって、ずっとその言葉が心に残ってる。

これが理由かは不確かだけど、踊り込みが怖かった。

 

踊り侍でもらった言葉は、毛布にもナイフにもなった。

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どれも些細なことなのかもしれない。

 “アツさ” があれば、簡単に乗り越えられたのかもしれない。

 

でも、自分は変われなかった。

いや、変わらなかった、が正しいのかな。

 

「迷ったらGo」という言葉があるけれど、

「迷うくらいならやらない」方が良いと信じていた。

だから、変わらなかった。

 

思い返せば、何度か大きな迷いはあったのだけれど、

結局何も出来なかった。

誰かに必要とされるのを待ってたのかも。

何か一つでも挑戦してたら、変わってたかもしれない。

でも、きっとこれで良かったんだ。

 

「迷うくらいならやらない」という道も悪くないよ。

 

そして、踊り侍は「たかがサークル」ではない。

スタッフは練習の参加を嫌でも強制されているから、

スタッフは部活、そうではない人はサークル、

そういう感覚が正しいのかなと思う。

 

スタッフが必要な存在であることは分かっていても、

なんだか壁を感じてしまっていて、

役職がなくても頑張っている人のようには自分はなれなかった。

 

反論はあると思うけれど、

二十二代目で三回生という立場に居た自分は、こう感じてしまった。

同期の人数が少なくて、その中で自分だけが何も貢献していない、

そう思っていたから感じてしまったのかも。

 

踊り侍の良い所でもあり、怖い所でもある点は、

誤解を恐れずに言うと、

「頑張っているように見える人」が評価されること。

だから、人前で「頑張ること」が苦手な自分は、

あの頑張っている人達は違う世界の人達なんだって、

そう思うことで気楽に過ごそうとしてた。

 

「頑張ること」が正義ではないよ、無理はしないで。

 

でも「頑張りたい」人がいるのは分かってる。

そういう人は、頑張ることを “楽しんで” 欲しいな。

 

踊り侍に居たら、特にサム漢は、

アツくならないと、盛り上げないと、って思うかもしれない。

 

でも、出来なくたっていいんだよ。

“アツさ” なんて、なくてもいい。

 

もしもこの文章を読んでくれている人の中で、

踊り侍が辛くて、今にも辞めたいって思ってる後輩がいたら、

こんな生き方もあるよってこと、どうか忘れないでほしい。

 

“ あなたはあなたらしく、自分のペースでいいんだよ。”

 

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じゃあ、なんでこんな自分が引退まで踊り侍に居続けたんだろう。

 

ありきたりな理由だけど「仲間が居たから」なのかな。

 

自分にとっての “憧れ” は 、

先輩、同期、後輩、全員を含めた、

 

『踊り侍を楽しんでいる皆』

 

だったのかもしれない。

 

大学生になったらやりたいことなんて沢山あったけれど、

それを覆してしまうくらい、素敵な場所だったな。

 

“ 踊り侍を、楽しんでね。”

 

天翔龍閃に関わってくれた全ての人に

最大限の愛と感謝を込めて。